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福岡高等裁判所 昭和31年(ラ)115号 決定 1957年4月30日

抗告人 広橋竜合

訴訟代理人 吉永嘉吉

相手方 広橋ヨトメ

主文

原審判を取消す。

本件を福岡家庭裁判所直方支部に差戻す。

理由

抗告代理人の本件抗告理由の要旨は、次のとおりである。

「原審判は、夫婦の一方が相手方に対して離婚訴訟を提起しながら相手方に対して扶助を求めるのは矛盾であつて、結局このことは夫権の濫用なりと判示しているが、離婚訴訟が係属中であつても当事者は夫婦であることに変りがないから、まだ離婚判決が確定しない限り必要と認められる扶養料の請求は当然容認せられるべき筋合であると信ずる。若し然らずとせんか、本件のように不貞を理由とする離婚訴訟の場合においては、相手方が自ら不貞を敢てしながら却つて扶助の義務を免れるという不当の結果を生ずる。若しこの扶助を求める者が妻である場合を考えてみると、原審判のような解釈が果して実生活に即し何等不都合をも生じないものであろうか。疑なきを得ない。例えば、裕福な夫が妻に不貞の濡衣を着せて離婚の訴を起した場合でも、この哀れな妻は離婚訴訟の完結に至るまでは差迫つた扶助も求めることができないのであろうか。横暴な夫が妻に対し理由なき理由をもつて離婚訴訟を提起したならば妻は最早その横暴な夫に対して扶助の請求をなし得ないという不都合な結果が生ずる。原審判は、扶助が求められないのは権利の濫用だからとしているが、扶助を求めるのも権利であれば、離婚を求めるのも権利である。しかもこれは同一方向に並び進んでいる。扶助は離婚確定までの間の要求であるから矛盾はない。相手方は離婚を許すべからずとして争つているのであつて、右の訴は理由なしとして棄却される場合もあれば、婚姻継続を命ずる判決もあり得るのである。抗告人は離婚訴訟が完結して財産分与の時期が来るのを待てずに緊急処置として扶助を求めるのであつて、これを棄却した原審判は不当であるから、これを取消し、相当の裁判を求める。」

よつて審按するに、婚姻生活は両性の本質的平等に立脚し、相互の深き愛情によつて結ばれ、互に扶助の実を挙げてこれを維持されなければならない。民法第七五二条に「夫婦は同居し、互に協力し扶助しなければならない。」旨を規定しているのも、婚姻生活における夫婦の本質的義務を闡明しているもので、夫婦が同居し、相互に協力扶助してこそ婚姻生活はその平和と円満を期することができるのであつて、夫婦の扶助義務は協力同居義務と共に婚姻生活の基本的要件である。夫婦間の扶助の権利義務は、夫婦という身分に随伴する継続的な相互的権利義務関係であつて、夫婦相互の経済状態及び社会的地位に応じて夫婦が一体となつてその生活を維持するため相互が犠牲的に負担している義務を内容とするものであり、しかも婚姻の本質に鑑み夫婦の愛情と理解がその基盤をなしているものである。従つて夫婦の一方がその配偶者に対して扶助義務の履行を法律的に権利として主張するに至るが如き場合は、すでにその婚姻生活は破綻に瀕しているか、または破しようとしている際である。しかしながら、いやしくも婚姻関係が継続し夫婦としての身分関係が存続している限り、扶助の権利義務関係も存続しているものであるから、たとえ婚姻生活が破局の段階に達している場合であるとはいえ、扶助権利者において扶助を要する状態が成立している限りその請求権を行使し得るものといわなければならない。もつとも婚姻生活が破綻に瀕し離婚の訴を提起するに至つた場合、その提訴者はこれにより相手方との婚姻関係を将来において維持継続しないという意思を表明しているものということができるが、婚姻の解消について合意が成立し、事実上夫婦関係が解消した協議上の離婚の場合と一方的に婚姻解消の意思を表明しているに過ぎない離婚の訴を提起した場合とを、たやすく同一視することはできない。

ところで権利の行使は信義誠実の原則に従うことを要する。権利の認められた本来の目的を逸脱し、その行使が却つて社会の倫理観念に反する不当な結果を生ずるに至るものと認められる場合には、これは権利の濫用として禁止される。すでに婚姻生活が破局の段階に達している場合に、夫婦の一方が配偶者に対して扶助請求権を行使するにあたつては、請求権者において扶助を必要とする状態の成立していることを要すると共に、婚姻生活を破綻に導いた責任の所在、過去における扶助の態容等諸般の事情が考慮されなければならない。請求権者が配偶者に対し単に離婚訴訟を提起しているの一事だけで扶助請求権の行使が権利の濫用であるということはできない。

抗告人の本件審判申立書によると、抗告人は昭和三年六月二三日相手方と婚姻し、その間に数人の子女を挙げたが肺結核を患い昭和二七年四月一九日入院加療中妻である相手方は他の男と姦通したので、相手方に対し福岡地方裁判所直方支部に離婚並びに慰藉料請求訴訟を提起し、現に係争中であるところ、抗告人は病気再発して昭和三〇年九月五日筑豊病院に無料患者として入院しており、入院費は無料とはいえ特別の栄養を採る必要もありその他身辺の雑費等相当の出費を生ずる。他方相手方は飲食店を経営し相当の収入を挙げているに拘らず抗告人に対しては小遣銭すら与えないので扶養を求めるというのであるから原審は抗告人の相手方に対する本件扶助請求権の行使が果して正当の事由に基いてなされているものかについて、離婚訴訟の提起のみならず、抗告人及び相手方の婚姻生活を破綻に導いた責任の所在、過去における当事者相互の扶助の実態、現在の生活状態等について十分の審理を尽して判断しなければならない。しかるに抗告人が相手方に対して離婚訴訟を提起しているためその離婚請求の理由の如何に拘らず相手方に対して扶助を求めることは夫権の濫用であるとしてたやすく抗告人の本件請求を棄却した原審判は失当であつて、本件抗告は理由がある。

よつて家事審判規則第一九条第一項に従い主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 竹下利之右衛門 裁判官 小西信三 裁判官 岩永金次郎)

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